本社は一間社春日造りの社殿に、天忍穂耳命を祭神としてお祀りしています。
若一王子とは、熊野権現の若王子のことなので、熊野信仰が盛んになる平安時代末、
いまから900年以前の創建と思われます。
祭神の天忍穂耳命は、正式には「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」という
たいへん長い名前の神で、天照大神の日継の御子であり、
天孫ニニギノ命の父神にあたり、稲の豊作の霊をもつ神といわれています。
室町時代には、当神社を精神的な支えとして「惣村」が結成され、
村人による自治がおこなわれるようになりました。
村の掟や水利問題、それに村の生活などを記した文書が多く残されており、
『王子神社文書』として貴重な史料となっています。
江戸時代初め、初代藩主の徳川賴宣は隠居所として
「陽山御殿」を当神社近くに造営しました。
御殿はまもなく取りこわされたが、賴宣公は当神社への信仰あつく、
『紀伊続風土記』によれば、京都賀茂神社の祭りに用いる賀茂葵や鏡を奉納し、
また、賴宣公が外出するとき神社に預けてある杖を
うけとって携えたと記されています。
車で参拝の際は境内内に車を停められます。
↓地図↓
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